JavaScript を有効にしてご利用下さい.
2009年11月23日(月)
※日曜日はお電話でのお買い物及びお問い合わせはお休みさせていただいております。メールのご返信は翌日に返信させていただきますのでご了承ください。
ご覧になられましたか。
ここは上越市の林泉寺
謙信公が7才から14才まで過ごしたというお寺の惣門。
ここで謙信公は「義」の心を学んだといわれています。
謙信公の御墓に手を合わせ、関ヶ原の戦いでなくなった兵の
供養塔もありました。
そしていよいよ春日山城へ
さすがに難攻不落の山城と言われるだけあって、相当急な登り坂でした。
勿論現在は歩きやすいように整備されていますが、
昔は敵に攻められないよう、もっときつい道であったと想像できます。
しかも昔は甲冑を着てですから。
しばらく歩いていくと直江兼続の屋敷跡にたどり着きました。
現在は石碑しかありませんでしたが、
本丸からは3番目(2番目は景勝)の高さに位置し、
今から400年以上も前にこの場所で暮らしていたのかと思うと、
感慨深いものがあります。
さらに、さらに本丸を目指し上へ上へ進んで、
(このへんではもう汗だくでした)
ようやくたどり着いた本丸跡。
標高180Mからの絶景の眺め
上越市内を一望でき、左には日本海。
謙信公はここからの景色を見ながら戦乱の世に何を思っておられたか。
「天地人」の最終回で、兼続とお船が越後を訪れ、
故郷を見渡した時どんな思いが込み上げたのか。
自分たちの一生を振り返って、
きっと越後に帰ってきたいと思ったのではないだろうか。
現在の上越市は、宝物や御墓など殆どの物が米沢に移されましたが、
ここ春日山城で謙信公、景勝、そして兼続が戦乱の世を生き抜いたという証は
誰にも動かす事のできない真実として、後世に伝えられ続けると思います。